
水沢競馬について
水沢競馬と聞いて思い出すもの、それはやはりトウケイニセイでしょう。
“岩手の怪物”と言われたトウケイニセイは、1987年に北海道浦河の田中牧場で生まれました。
父トウケイホープは南関と岩手で活躍した馬でしたが、血統があまり良くなかった事と地方競馬のみでの活躍であったため、初年度の種付けはたったの5頭でした。
初年度の種付け後、トウケイホープは心臓麻痺で急死してしまいます。
その最初にして最後の産駒の5頭の中の、たった1頭の牡馬がトウケイニセイでした。
トウケイニセイは生まれつき体が弱く、3歳(旧表記)でデビュー戦勝利を飾った後、屈腱炎を発症、その後1年7ヶ月の休養そ強いられ、4歳シーズンの出走は適いませんでした。
その後引退まで、足元と相談しながらの出走を余儀なくされます。
1991年4月27日の復帰戦で勝利すると、1992年11月22日のレースでハルサンヒコーの2着に敗れるまで、実に18連勝という当時の日本記録を打ち立てました。
その後も快進撃を続けるトウケイニセイは、初重賞のみちのく大賞典では殆どもったままでの快勝、次々と重賞のタイトルを勝ちとっていきます。
そして42戦目の1995年10月10日水沢競馬場での、全国交流競走となった南部杯で、ライブリマウントの3着に敗れるまで連を外した事がなく、41連続連対の記録は現在でも日本記録として残っています。
その後年末の桐花賞で快勝し、引退の花道を飾りました。
通算成績は43戦39勝2着3回3着1回、馬券に絡まなかった事がないというまさに“怪物”にふさわしい成績。
主戦騎手を務めた菅原勲騎手は、その後中央のG1フェブラリーステークスを勝ったメイセイオペラよりも、トウケイニセイのが強いとコメントしています。
引退後は北海道門別で種牡馬生活を送っていましたが、2004年に引退しています。
産駒の目立った活躍がないのが残念ですが、水沢の生んだ怪物トウケイニセイを超えるような馬が、岩手競馬から出てきてくれる事を期待したいですね。
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